「CTOとしての覚悟の持ち方とは?」
株式会社ビズリーチ 取締役 竹内 真

竹内氏トップ①

■坂本龍馬の故郷で出会ったプログラミング


Q:まずは現在の事業の状況からお聞かせください。

A:今、創業サービスであるビズリーチが65万人の会員、5000社の企業にご利用頂くサービスにまで成長しました。他のサービスも含めて、着実にご利用頂けるサービスを増やしていきたいですね。それによって結果的にマスでグローバルな事業になるはずですから。次はさらに爆発的なものをやりたいと考えています。

 

Q:そのチャレンジ精神はどこから来るのでしょうか。

A:私は高知県の中村市という四万十川の下流にある地域で生まれ、18歳まで高知県で育ちました。高知といえば、革命の士、坂本龍馬です。彼のように歴史的に何かを成し遂げた人はどこかで死を意識していたと思います。でなければ、革命なんて起こせません。人から褒められようと、ののしられようと、病気になろうと、元気であろうと、いつか人は死ぬ。それまで平和で安定的に、波も立たない水面のような人生を生きたいか、それとも真っ赤なマグマのように生きたいか。私は後者でありたいと思っています。

 

Q:プログラミングに興味を持ったのも、その高知にいた頃だそうですね。

A:小学3年生の時、毎月届く通信教材でICチップに出会ったのがきっかけです。それまではごく単純な動きだったものが、ICチップを差し込んだら突然、複雑な動きになったんです。なぜそうなるか、謎を解いてくれたのが小学5年生で出会った漫画『こんにちはマイコン』でした。漫画で学ぶプログラミングの本で、読んでやっと、あのチップにはプログラミングをしたものが入っていたとわかり、プログラミングに興味を持ちました。それからは毎日、コンピューターのある親戚の家に、自転車で通い、漫画を読みながら、プログラミングしていました。

 

Q:小学生でプログラミングできるものなんですか。

A:小学校5年生ぐらいなら観念的に物事を捉えられるので、プログラミング的な思考が付くんです。私自身も「こうやって、こうループ回ったらこう処理できる」とプログラミングっぽく解釈するようになりました。やはり小学5年生でその本と出会ったのが決定的でしたね。

 

Q:その後はいかがでしたか。

A:高校のときに数学にハマりました。大学の進学を考える際にも、数学が好きすぎて数学者になろうと思ったほどです。フェルマーの最終定理を解いてみたい、と思っていたのですが、どうも儲かる気がしないんです。(笑)

 

Q:「儲かる」ですか。

A:実家が飲食業でしたので、商売のなんたるかを横で見ながら育ったんです。たとえば物理なら新しい発見やものづくりなど、イメージは湧くのに、数学ではそういうイメージが湧かない。それで数学者への道をあきらめることにしました。

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■キャリアパスにもがいた日々 

Q:大学の進学先はどのように決めたのでしょうか。

A:数学の次に好きなものはコンピューターだ、と情報工学部へ進むことを決めました。でも当時は、ちょうどインターネットが始まった頃で、有名大学はまだハードが主流の時期でした。そこで、情報処理が強くて、最新機器が入っている大学を探していたら、電気通信大学が新しい機器を導入したことを知ったんです。それで第一志望で受験して、合格しました。

 

Q:学生時代にもプログラミングをしていたのでしょうか。

A:授業ではJavaを中心で、専攻の言語としてもJavaをやっていましたし、自分専用サイトを作ったり、CGIや掲示板のソースを改造したりしていました。WebではPerlとPHPを触っていたので、なんとなく全体像をつかんでいた感じですね。

 

Q:では、ある程度スキルがあって、富士ソフトに入社したんですね。

A:そうですね。入社して最初に担当したのは、国土交通省系の入札システムです。その後は、通信会社、電気会社などの、危機管理ツールやネットワーク構築など、とにかくB向けのシステム構築を担当していました。ナンバーポータビリティの仕組みや、光ネットワークの設定など、見えない所のシステムも作りました。そこで複雑なプログラミングをやったのが、すごくいい経験になりましたね。

 

Q:社内でのキャリアパスはどうだったのでしょうか。

A:スペシャリストのエンジニアはキャリアパスにない会社で、たいてい主任や部長とマネージメント職になっていかなきゃいけない、そういう組織構造でした。今でこそ違いますが、当時は、プログラミングしないで給料もらう人がいることに、納得いかなかったんです。たとえば30年働くと考えると、5年開発で25年管理職って、俺、なんのためにコンピューターサイエンスを学んだんだと思っていました。むしろ、自分でビジネスモデルを理解して、一気通貫で作って運営までやったほうが絶対にいいビジネスになると考えていたんです。

 

Q:その後、どうなさったのでしょうか。

A:ある時、後輩たちが昇進を断り始めたことを知ったんです。「彼が昇進しないのに私は昇進できません」と言っていると聞かされました。つまり私の上司にはなれない、ということですよね。それはだめだと思って、辞めることにしました。

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■ CTOではなくトップとして考える

Q:退社後、フリーランスを経てから起業したんですね。

A:ずっと一人でやっていく選択肢もなかったわけではありませんが、フリーランス時代にその不安定さを知ったんです。例えば、けがして入院したら一切お金がもらえない。なんて不安定なんだと。仕事をする人間には本質的に安全が大事だと思って、起業をしました。代表としてレイハウオリという会社を立ち上げたのは2008年、29歳の時です。今、9年目で従業員は150人ぐらいいます。

 

Q:フリーランスから起業という方は少ないのではないでしょうか。

A:私の人生に対する考え方の根っこには親が自営業だったことがあります。ですので、自分で起業するのは、ごく自然な流れでした。それまでの経験で、ビジネスの世界とものづくりの世界が一致しないと感じていたので、その二律背反する部分を経営で吸収すれば、ビジネスとしてもうまくいき、ものづくりの人間も幸せになる会社ができると考えたんです。

 

Q:それがレイハウオリにつながるんですね。

A:そうですね。儲けたい人はそれでいいんですが、モノづくりを侵害する事業は一切やらない、儲かることだけが目的の事業はやらない会社です。受託という環境の素晴らしさ、作る者にとっての素晴らしさを追求し、物を作る人にとっては楽園と感じてもらえる会社になればいいなと思っています。

 

Q:ビズリーチにはどういう経緯でかかわることになったのですか。

A:2008年にレイハウオリを起業した直後にビズリーチの創業者である南と出会いました。しばらくして彼はうまくサービスが立ち上がらない状態に陥っていました。2008年の冬にたたむことも視野に入れているという話を聞いて、立ち上げぐらいだったら、と手伝うことにしました。

 

Q:CTOは、技術をベースにした経営者という側面があると思うのですが、ご自身のお立場についてどのように感じていますか。

A:CTOというより、常に社長のつもりでやっていますね。特にテクノロジーを使った会社組織として、社長になれる器と魅力を持ち合わせたCTOがいる、何人も社長になれる人間がいるのは強みだと思っています。

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■親和性の高い言語の三つ巴

Q:御社の開発環境における技術選定についてお聞かせください。

A:まず考えたのは、ビズリーチが人事領域のサービスだということです。人事は、会社のバックヤードを支えるものです。そこから先を見据えた構築として、エンタープライズ(企業、事業)というか、ERP(enterprise resource planning、経営資源計画)の一部になる可能性を考えていました。一方では、エンジニアが採用しやすいかどうかを見極めなければならないと思っていました。実は、日本でとりわけ多いのはJavaエンジニアなんですよね。いいエンジニアを採用しやすく、エンタープライズに向いた言語という側面から、開発環境のプログラミング言語としてJavaを選びました。PHPやRubyのエンジニアの給与レベルが高騰していた時期でしたので、その判断で間違っていなかったと思います。

 

Q:今も開発環境は変わっていないのでしょうか。

A:ここ10年ほどで、Javaという言語自体がレイトのステージに来ています。そこで、どう新しいものに乗り換えていくかを考えました。盛り上がっている言語を採用すると、新しいオープンソースなども生まれ、新しい技術を享受しやすくなります。では今はなんだろうというときに出てきたのがScalaという言語です。

 

Q:Scalaに目をつけた理由を教えてください。

A:Javaのいとこみたいな言語で、JVM(Java virtual machine、Java仮想マシン)と言われ、バーチャルに動く言語ですので、Javaで作ったものがScalaに使えるんですよ。その意味でビジネス親和性が比較的高いこと、Javaのいいところを持っていながらScala独自のいいところもあること、ですね。さらに、Scalaの第一人者がビズリーチの仲間になってくれたのも大きかったです。彼がいるという安心感があったからこそ選定できましたね。

 

Q:フレームワークはいかがですか。

A:Ruby on Railsです。今私が見ている新規事業分野でもありますので、最初のプロトタイプに適しているだけでなく、それなりのフェーズまでそのまま引っ張ることができるんです。また、Scalaから見ると、Javaとすごく似てるのに、Javaから来る人よりもRubyやってた人がScalaやる方が実はすんなり入れるんですよ。技術としてはJava似なのに、思想やカルチャーとしてはRubyに似ている。将来的にScalaに統合されていく可能性がありますが、たとえそうなってもRubyやってた人間も、Javaやってた人間も、Scalaに統合されていくのはポジティブだと考えています。ということで、今はJava、Ruby、Scalaの三つ巴ですね。

 

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■覚悟を持ったエンジニアが増えれば世界は変わる 

Q:エンジニアに対するKPIや評価はどのようになさっていますか。

A:当社のエンジニアはまず技術力を磨くことが第一です。全7レベルあって、レベル3まではとにかくどんなものでも作れるようになることを求めています。レベル3では、これを作って、はい、作れます、でいいのですが、レベル4になると、その課題に対してベストシナリオを描くことを求めます。レベル3がドラえもんのようにたくさんの道具を持つことだとしたら、レベル4ではそのときに最適なものをあげられないと駄目なんです。

 

Q:判断力が求められるということですね。

A:そうですね。クオリティー、コスト、デリバリーが最小のものを選べる、それがレベル4の状態です。レベル5になると、KPIではなく事業数値全体、売り上げからの判断になります。例えば商品企画、大きなロスをしている穴や見えていないものを見つけるとか、KPIヒットからLPヒットみたいなもので、個別最適から全体最適になっていくのがレベル5です。レベル6になるともっと上の複数事業や会社全体を見るフェーズです。レベル7はもう執行トップですね。

 

Q:いずれにしてもベースは技術にあるということですよね。

A:そうですね。技術がベースですが、事業の数字に貢献するエンジニアであることが幹で、エンジニアとしての技術は枝なんです。

 

Q:公平な評価だと感じます。

A:そうですか?なかなか公平にはいかず苦労するところでもあります。ただ、王道を進めばちゃんと評価できるようにしています。すべての人にいい会社かどうかは分かりませんが、当社の思想に共感する方に多く集まっていただきたいと思っています。

 

Q:最後に、CTOを目指す方にメッセージをお願いします。

A:特に、エンジニアからCTOになった方やエンジニアからCTOを目指す方の中に覚悟ができてるCTOは少ないと感じています。そもそも起業家になる人は、チャレンジして大きなものを得ようとする人が多いのに対して、エンジニアは、手に職を持った人、安定感がある人が多い気がするんです。そうすると社長やトップの人間とエンジニアの覚悟の差は歴然としています。ただ、そういう傾向があるからこそ、自分が任命されるのを待つのではなく、自分にこれをやらせてほしい、任せてほしい、そういう一歩を踏み出す人が必要だと思います。そうやってテクノロジーの世界で命を投げ出す覚悟を持って一歩を踏み出す方が増えてくれば、世界はもっと良くなると思います。こう言うだけではなく、まずは自分がそれを体現したいと思っています。私が咲き乱れるか、はかなく散るか分かりませんが、踏み出す人と一緒に頑張りたいですね。

--ありがとうございました。

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