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「エンジニアと経営-2つの目線-」
キュレーションズ株式会社
取締役COO 金子憲太郎


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■略歴

京都府出身、横浜国立大学中退後に複数ベンチャーで事業立ち上げを経験。
2007年 株式会社ループス・コミュニケーションズにて新規事業立ち上げのプロジェクトマネージャ担当、事業の M&Aを経て退任。
2009年 株式会社アールラーニングにてRubyOnRailsを使った開発の推進及び新規事業立ち上げを担当。
2010年 同社 取締役就任。
2010年 Rails技術者認定試験の立ち上げに携わる。
2011年 同社 代表取締役COO就任。
同年株式会社エムワープにてシニアレコメンドアーキテクト就任(兼任)、スマートフォンアプリ「POPCORN」のリリースにあたりレコメンドエンジンの開発を担当。
2012年 株式会社ジャムロジック設立 代表取締役CEO就任。
2013年 株式会社インタレストマーケティング 取締役COO就任。
2015年1月よりキュレーションズ株式会社 取締役COO就任。大企業との共創を掲げ新しい『顧客創造』からの『事業創造』を行う。

 

■IT業界へ転身するまで

Q:最初の就職までのダイジェストを伺わせてください。
小学校のときは絵に描いたような優等生でした。中学ぐらいからいわゆる反抗期がありました。とにかく制服が嫌で、制服のない高校に行きたかったのですが、親に駄目だと言われ、違う高校へ進みました。でも、本当に高校が嫌で嫌で辞めたくて、親とは高3の夏休み過ぎぐらいまで毎日けんかしていました。

Q:卒業後は横浜国立大学へ進学されたそうですね。
一人暮らしをしたかったんです。大学を決める際、私立はお金が掛かるので駄目、よくわからない大学は困ると言われ、落としどころになったのが横国でした。国公立の中でも中の上ぐらいで、ちょっとおしゃれじゃないですか。それで、横国の工学部物質工学科へ行きました。1年は真面目に行っていたのですが、友達はみんな公務員になるとか、大手行くとか、地元帰って公務員になるとかばかりで、どちらもイメージ湧かない。それなら、早く働いた方がいいと思うようになりました。あと、バンドを組んでいたので「ミュージックステーション」への出演を目指して、駄目だったら働こうみたいな感じで、さくっと辞めてしまいました。

Q:辞めるときは親御さんには話したんですか。
言いました。父親が京都から横浜に来て、「本当に辞めるのか。あとはおまえの人生だ。好きにしろ」とだけ言って去っていきました。そこで、ああ、自分のためにいろいろ言ってくれていたんだと理解して、親との葛藤が解けたんです。

Q:その後、バンド活動に専念したんですか。
フリーターやりながらバンドをやっていました。月14~15万円の収入で、家賃が6万、ライブ1回に1万、残り数万で生活して、1年でさすがに食えないことに気づきました。2000年ぐらいに、お金欲しいな、ITか、みたいな。

Q:そう考えたきっかけは何だったのでしょうか。
お金になりそうだというものすごく不純な理由です。ただ、最初はITでもデザイン系がいいと思っていたんです。レンタルサーバー屋にバイトで入って、勤務時間が終わってからPhotoshopなどのソフトを触らせてもらいました。でも、性に合わなかったんです。それでプログラムをやってみたら、すんなり書けて、これなら食べていけると思いました。

Q:エンジニアとして頭角を現すまではどのくらいかかりましたか。
プログラムが書けるようになってきた状態で、シス
テムインテグレーション(SI)事業の会社に入りました。どちらかというとシステムエンジニアリングサービス(SES)に近いものでした。2~3年でCTOになって仕組みを変えていこうと社長にかけ合ったのですが反対され、「事業をやりたい」ということで辞めました。

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■事業立ち上げ、M&A、代表を経験して

Q:最初の会社を辞めてからはどうなさったんですか。
2社目は、もうなくなった会社ですけど、何人かで事業を立ち上げました。動画上げる人、音楽作る人、写真上げる人、それらを組み合わせて動画にする人、というふうに、素材の持ち寄りでコンシューマーに企業のCMを作ってもらうんです。作った動画の再生回数に応じてコンシューマーにはフィーが入り、企業からも再生回数に応じてお金をもらえる仕組みでした。当時、エニグモのサービスがまったくの競合で、負けちゃって畳みました。

Q:それからループス・コミュニケーションズに入られたんですね。
はい。一度失敗したので、伸びゆくベンチャーに入ってみようと考えたんです。mixi、GREEがはやり出した頃です。ループスは、SNSのパッケージを持っていて、今の「みんなの株式」もそれがベースです。当時は、新規事業の開発統括メインのプロダクトマネジャーとして、手を動かすエンジニアと営業の間にいました。

Q:M&Aも担当されていたそうですね。
事業の売上は伸びてはいたんですけど、VC(ベンチャーキャピタル)向けの話がうまく行かず、もう一回、資金調達するタイミングでリーマンショックが起きました。資本をもう持ち込めない、どうする、どうする、売却だってことでいろいろ探しました。

Q:自分たちで立ち上げた事業を売るとき、どんな気持ちでしたか。
結構淡泊なんで、よかった、と。売却先に付いていってほしいという話でしたが、自分で全体を見渡せるぐらいの空間で働きたいと考えて、アールラーニングへ行くことにしました。最初入った会社の創業者が持っていた会社の一つだったんです。彼はすでにそこを離れて面識があったぐらいですが、「飯でも行きませんか」と会ってみたら、「そろそろSESを脱却しようと思っている。君のパワーを貸してくれ」という話になりました。受託を取ったり、プロダクトを作ってみたり、いろいろやりました。

Q:どんなプロダクトだったのでしょうか。
社内SNSから自動でコミュニティに参加させる仕組みです。例えば日記や報告を書いた人の趣味欄にバスケットという単語を発見したら、自動的に社内のバスケットコミュニティに入るんです。そのプロダクトは、会社のブランディングに活用されて、それがきっかけで受託の仕事も取れました。

Q:事業を立ち上げて、面白かったことはなんですか。
最終的に二代表制で代表の一人になり、社員80人ぐらいの会社を見渡せたのは、やっぱりいい経験でしたね。ずっと現場もやっていましたので、下から上まで見渡せる視野が持てて、そのバランシングがうまくできるようになったのではないかと思います。

Q:当時の業務は主にどんなことでしたか。
業績がそれほどよくなかったので、社内の改善として数値を作ることに100%コミットしていました。言ってしまえば、それ以前の何社かでは結局思ったような数字が作れずに抜けています。だから、事業計画を作って、売上目標を立てて、それを達成することにすべてを注いでいました。直下にいたマネジャーは私のことを人でなしと思ってるんじゃないですかね。ただ、それが役割だと思っていました。代表はビジョンを語るのが好きでそういう求心力のある方でしたが、それを売上をコミットする責務から逃げる口実とするマネージャも居たりしました。私は、投資の前にちゃんと利益出していこうぜ、そうしないと会社の継続性ないぜ、みたいなことを訴えていました。

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■エンジニア目線と経営目線

Q:次に転機が訪れたのは?
24~25歳ぐらいからマーケティングに興味を持っていたのですが、知り合いからブランド・データバンクというサービスの話を聞いたことがきっかけでした。これは、半年に1回ぐらい約3万人にアンケート取って、例えばトヨタ好きの人はバーバリーが好きとか、そういう相関性を絵でマッピングしていくサービスです。聞けば、そのサービスを立ち上げた人がマクロミルに事業を売却して、そこでその方が新規事業をやると。めっちゃ手伝いたいと思ったんです。そこで、もともとの代表に「やりたい事業があるので、報酬半分でいいので、半分行かせてください」と。

Q:反応はいかがでしたか。
今思い返してみると心が広かったですね。快く出してくれました。代表をやりながら、個人事業主で新規事業を手伝って、「POPCORN」というアプリを作りました。アプリを立ち上げると、ユーザーに「あれ好き?」「これ好き?」「これ好きってことは、もしかしてこれも好きじゃない?」みたいな。そのレコメンデーションのエンジンを私が開発しました。

Q:エンジニアしながら、ビジネスサイドも見てらしたんですね。
私の中では業績の改善が見えてきた時期だったんです。もう少しすればなんとかなるという算段があったので、両方楽しもうという感じでしたね。

Q:もう一回エンジニアの道を歩もうという気持ちはありましたか。
最初の1社目、2社目で、コード書くのは手段だなと思っていました。どれだけ頑張っても、いわゆるトップエンジニアにはなれないし、その願望もありませんでした。どちらかというとサービスや事業を作るほうが楽しいと感じていたので、必要なタイミングがあれば書くというスタンスです。その後、ブランド・データバンクを作った坂井から新しい会社で一緒にやろうと声がかかりました。そうしてできたのが、ジャムロジックとインタレストマーケティングです。

Q:同時に設立されたんですか。
ほぼ同じですね。ジャムロジックの代表は私が、インタレストマーケティングは坂井が代表になりました。最初はインタレストマーケティングが発注元で、その仕事を受ける開発子会社がジャムロックというかたちでした。1年ぐらいしてインタレストマーケティングにVCから資本入れて勝負かけることになり、ジャムロジックを休眠させて、インタレストマーケティングのCOOとして役員登記しました。CTOに近いCOOですね。開発もするけど、ビジネスサイドとしても見る立場です。

Q:この頃、ご自分でこういうのが得意だな、と思うことはありましたか。
何でしょうね。いまだに探しています。ずっとやる人がいないところを穴埋めするような感じで働いてきました。客観的に見れば、テクノロジー側の人と話して、こういう事業をやりたいという人とつなげるところが強みなのかもしれないのですが、そこに楽しみを見出していないんです。どういうものを作るかをああだこうだ話している時がいちばん楽しいですね。最近あるグロースハックとか、数値を見てIPテストやってとかはあまり好きではないです。そこもサービスをスケールさせるには必要なことですが本質じゃないよなと思って、それ以上に僕自身があまり楽しみを見いだせないんですよね。

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■身近なサービスにかかわりたい

Q:今のキュレーションズでの業務を教えてください。
タブレットの横にある、それ、BeautyExplorer(※1)なんですよ。ソニーのCMOSの事業の一つとして作りました。CMOSはカメラのレンズで、2~3カ所、ピッピッピッってやると肌年齢がマイナス何歳で、測った場所の水分量、油分量、きめの細かさ、毛穴や染みが計測できて、その結果をスマホと連動させるサービスです。このサービスを広めるために、今年の4月にはビューハックスというwebサービスをリリースしました。ソニーからお金をいただいているのですが、ソニーの名前でやろうとすると、チェックが大変で、スピード感を持ってできません。ハードとサービスを結びつける役割を担いたいというイメージですね。対外的に今出せるのはソニーだけですが、別の大手企業とも一緒にプロジェクトを始めています。
(※1)ソニー株式会社の商標

Q:今後も大企業と組んで事業を展開するイメージですか。
自分たちもIoT(モノのインターネット)と呼ばれるところでサービスが提供できたらいいなと考えています。もう、焦って前のめりでやり過ぎてこけるのは嫌なので、大きい企業と一緒にやりながら、そのバッファで自分たちがいいと思ったものを作ってみることを、これから1年はやっていくつもりです。

Q:今後のキャリアパスに対するイメージは描いていますか。
最近は、事業主体の目線過ぎて、自分でなんだろうなと思うことがあります。本当は何をやりたいとか、もうよくわからない状態なんですよ。ただ、一つだけあるとすれば、電車に乗ったら横の人が使ってるとか、そういうレベル観のサービスを作りたいということですね。キャリアというよりも、そういうプロダクトのあるサービスを生み出すところにかかわりたい。自分でアイデアが浮かべば社長でもいいですし、誰かに言われてすごいなと思ったらプログラマーでもいいので携わっていたいですね。

Q:実際にCOOを経験されて、求められるのはどんな能力はだとお考えですか。
決断力ですかね。特にサービスを作ろうとすると、そもそもスケジュールが短いことが多いですし、時間かければかけるだけ人のお金も掛かる。そうなると、3カ月みんなと議論するよりも、3分で結論して、1カ月後にそれが出来上がっていて、試してみて、いい悪いを判断する方がよほどいいと思うんです。決断を先延ばしにすると、いいも悪いも量れませんから。決断できない人には社長もやっぱり委ねられないんじゃないでしょうか。自分がこうしたい、ああしたいじゃなく、事業主体の目線できっちり決断できるかどうかですね。

Q:COOはどういう存在であるべきだとお考えですか。
いちばん冷静に全体を見渡さないといけないと思いますね。トップは、盲目的に目指すベクトルに突っ走ってくれればよくて、現実を踏まえてかじを切ったり、ブレーキ踏んだりみたいな、バランスを取る存在だと思います。

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